王女さまの薬指



 その年、16歳になった王女さまは、この国で一番美しい女の子でした。
 ウェーブのかかった長い髪は輝かんばかりの黄金色、白い肌は透き通り、頬は林檎のようにほんのりと染まり、瞳は海のような澄んだ青。優雅な動きでゆっくり歩くその姿を見て、ため息をつかぬ者はいません。
 王女さまが美しいのは当然のことです。王女さまのお父さまである王さまはあまり美男とは言えない容姿でしたが、王女さまのお母さまであった人は、それはそれは美しい人であったのです。花街で一番の人気であったお母さまは、王さまの気まぐれで見初められ宮中に上がりましたが、高貴な人々作る社会に馴染むことができず、心を病んですぐに死んでしまいました。
 王女さまは生まれたときから美しかったので、王さまの正妻である王妃さまや、その他の宮殿の人たちに、生まれてすぐに激しく疎まれました。その身を案じた王さまは、宮殿から少し離れた小さな宮に王女さまを隔離して育てることにしました。さみしい離れで少ない召使いに、腫れ物に触るようにして育てられた王女さまは、たいそう我が儘に育ちました。
 美しい王女さまが望んで手に入らないものはありませんでした。どんなものだって、欲しいと言えば王さまや家臣たちが必死になって探して手に入れてくれるからです。それでもあまりにもそんなことが続くと、王さまは流石にたしなめなければならなくなりました。
「娘よ、王女よ、確かにお前は美しく、この豊かな国の王女ではあるが、この世のすべてが手に入るわけではないのだよ」
 王女さまは美しく、少しだけ賢かったので、そうやって言われてから、なんでもすぐに欲しいと口にするのをやめました。
 代わりに、今度は、ものを失くしたふりをするようになりました。
 たとえば、王女さまは赤い宝石のついた首飾りが欲しくなりました。そうすると、
「私の大事にしていた、赤い宝石のついた首飾りがなくなってしまったわ。探してちょうだい」
 と召使いに言い放つのです。これはおねだりではなく、探し物の依頼なのです。だから召使いがそれを断る術はありません。探すふりをしながら、どこからか赤い宝石のついた首飾りを手に入れ、何事もなかったかのように、それを王女さまに献上するのです。
 ほとんどの召使いは、これがわがままで美しい王女さまのお戯れだと理解していましたが、ごく稀に特別に察しの悪い召使いがいて、愚直にも王女さまの探し物を一日中宮の隅から隅まで探し回り、真夜中に、見つかりませんでしたと報告をします。王女さまは美しく少しだけ賢かったので、自分より愚かな召使いが許せません。王女さまはそんな召使いには辱めを与え追放するのです。
 この悪行を耳にした王さまは困り果ててしまいました。これだけわがままな王女さまは、どれだけ美しくとも、どこにもお嫁に行けなくなってしまうのではないかと心配になったのです。王女さまはその年、16歳になりました。改心させるにはまだ間に合う歳です。美しい盛りに、その美しさに目のくらんだ遠い国の王子さまにでも連れて行ってもらえば、遠いその地で大人になってくれるのではないかと思った王さまは、北の北の遠い遠い国の王子さまとの縁談をまとめました。
 王女さまは美しく、どんなものでも手に入れられる王女さまでした。なのに遠い遠い、自分よりも貧乏な国の男と結婚しなければならない自分の運命が許せず、毎日毎日泣き明かしていました。
「王女さま、美しい王女さま、遠い国の王子さまのもとへ嫁ぐことの、何がそんなにお嫌なのですか。王子さまは王女さまを心底愛して、大事にしてくださいますよ」
 と、召使いの一人が尋ねました。王女さまは真っ赤になった目でじっとその召使いを睨みつけました。この召使いは、王女さまが一番気に入っている召使いでした。その昔、城下町で偶然見つけて拾った醜い娘でした。貧乏な家で、奴隷同然に扱われていた娘は、生まれながらにして孤独な王女さまよりもずっと惨めだったので、手元に置いておきたくなったのでした。
「嫌に決まっているわ! 遠い遠いここより貧乏な国に行ってしまったら、今みたいに欲しいものが何でも手に入らなくなってしまうんだもの!」
 と王女さまは叫びました。
「では、王女さまはどんなものが欲しいのですか」
「例えば、たくさんのフリルが付いた純白のドレスよ」
「王女さまはお美しいので、王子さまがきっとご用意してくれますよ」
「それから、大きなエメラルドがついたティアラ」
「それもきっと、王女さまはお美しいから、王子様がご用意してくれますよ。そうでなければきっと、王さまが遠い遠い国まで贈ってくださるでしょう」
「それから、指輪よ」
 そう言って、王女さまは自分の左手を窓から入り込む太陽の光にかざしました。
「見て、私のこの美しい、左手の薬指を。ここには、ダイヤモンドのはめ込まれた純金の指輪しか似合わないわ。あの王子が送ってきた小さな指輪は、私の指にふさわしくないのよ!」
 召使いはため息をつきました。
「そうですね、美しい王女さま。貧しい王子さまの愛が詰まった世界に一つだけの指輪は、美しい王女さまの指には決して似合わないでしょう。かわいそうな王女さま」
 憐れむようにしてそう言うと、召使いは去っていきました。
 王女さまはとても許せない気持ちになりました。どうしてあの召使いに、かわいそうなどと言われなければならないのでしょう。すべては父王のせいです。宮殿のいじわるな人々のせいです。心の冷たい召使いたちのせいです。そして王女さま自身が美しいせいです。
 王女さまは遠い昔に護衛の騎士から取り上げた美しい装飾の施された短剣で、この国で一番美しい左手の薬指をざくりと切り落としました。皮膚が切れ肉を断ち骨の手ごたえがしました。激しい痛みと共に真っ赤な血が滴ります。そうして切り落としたそれを、怒りに任せて庭へ放りました。
「私の大事にしていた私の左手の薬指がなくなってしまったわ。探してちょうだい」
 召使いたちは震えあがりました。王女さまには確かに左手の薬指があったはずなのに、本当に無くなっていたのです。これは、いつものお戯れではありません。蒼白になって、皆が宮中を探します。しかし探せども探せども、王女さまの美しい薬指はどこにも見当たらないのです。
 召使いたちが必死になりあちらこちらを走り回っているのを見ながら、王女さまは尚もさめざめと泣いていました。
 それからしばらくして、あの醜い召使いが王女さまの元へやってきました。そして王女さまのそばで、懐から古びた安物のナイフを取り出し、自分の左手の薬指を切り落としました。錆びついたナイフは切れ味が悪く、王女さまが自分の薬指を切り落としたときよりも時間がかかり、切り口はがたがたになり、たいそう醜い傷口になりました。
「王女さま、王女さまがお探しの薬指が見つかりました」
 と召使いが言うので、王女さまは泣くのをやめて目を剥きました。
「何を言うの、私の薬指はこんなに醜くないわ」
「ええ、そうですよ。ですから王女さま、この醜い薬指をお召しください」
 そう言うと、召使いは宝石箱からあの王子さまからの贈り物の指輪を取り出し、切り落とした自分の薬指に通しました。浅黒く荒れた皮膚の、短く太い醜い指の上では、その、細く装飾もささやかな王子さまの指輪はひときわ美しく見えました。
「この指輪が輝いているのは醜い召使いの指の上で、王女さまの指ではありません。この指をお召しになれば、王女さまの指も、心も、誰に渡すこともなく清いままでいられるでしょう」
 王女さまは美しく、少しだけ賢かったので、召使いが言わんとすることがわからないわけがありませんでした。王女さまは怒り狂って召使いの醜い頬を力いっぱい叩きました。それから大声で泣き出しました。誰も孤独な王女さまの悲しみを慰めることなどできませんでした。やがて王女さまはささやかな指輪の通った醜い薬指を自分の左手に挿して、遠い遠い国にたった一人旅立ちました。

 * * *
 
 その年、16歳になった奴隷女は、この国で一番醜い女でした。
 背は低く、手足は太く、皮膚はどこも目も当てられないほど爛れており、その姿を見て逃げ出さない者はいません。かつてこの国で一番美しい王女さまの召使いだったのが、あまりに醜いので嫁入りの折りに連れて行かれなかったのだと皆が噂をしています。
 女の何よりも醜く不気味なのは、左手の薬指だけが特別に美しいことでした。白く細く完璧な形をしたそれは、明らかにその女の体の中で浮いているのです。そのちぐはぐな醜さを影で罵られていると知りながら、女は気にも留めず、少しの侮蔑と、少しの憐憫と、深い慈しみの気持ちを湛え、今日も誰にも愛されない美しい左手の薬指をうっとりと眺めながら、太陽の光にかざすのです。






この作品は創作競作サイト「てきすとぽい」さん内の「第19回 てきすとぽい杯」で書いた文章に加筆したものです。
お題「捜し物」をテーマに一時間で作品を書く企画でしたが、制限時間内に完結させることができなかったため今回改めて完結作品として自サイトで公開させていただきました。


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