「ゆるゆるSF企画」参加作品

二十光年ロボット


 ロボットは、この星に生命が生まれるずっと前からここにいた。遠い昔、別の星から来て帰れなくなったのだ。私たちは既にそれを知っている。そして、何十億年もこの星を見守っていたロボットに、敬意を払っている。ロボットは、この星に生命が生まれるずっと前から、ここにいたのだ。
 ロボットというのは、ロボットが、自分たちをそう呼ぶように提案したので、その呼び名が定着した。それまで私たちはそれを『未確認二足歩行物体』と呼んでいた。人里はなれた山や森や荒野で時折目撃情報が相次ぐ、しかしその実態は不明な、生命体なのかさえわからない、謎の存在だった。彼らが私たちの前に正式に姿を現したとき、彼らは自分たちの存在についてこう説明した。
『私たちは、この星で生まれた存在ではありません。私たちは、有機体ではありません。私たちは、この星の環境とこの星で生まれた生命体に悪影響を及ぼすことを歓迎しません。そのため、私たちは、長い間皆さんから隠れるようにしていました』
 私たちは慎重な調査と議論の結果、彼らと友好的に共存する道を選択した。その時、私たちは彼らをなんと呼ぶべきなのかと尋ね、そして、ロボットという呼称を提案された。
 ロボットというのは不思議な呼び方だな、と私は思う。元々ロボットというのは、物を遠くまで飛ばしたり、火を起こしたり、ヒトにできないことや危険なことを代わりにやってくれる道具のことを指す言葉だったはずなのだ。でもロボットは、それがこの星にある言葉で彼らの定義に一番近いのだと言った。ロボットはただ静かに私たちの生活に溶け込んで、なにもせず暮らしているだけなので、不思議だな、と私は思う。
 ロボットはこの星に数えられるほどしか存在しない。ロボットが言うには、沢山のロボットを乗せた何機かのロケットがこの星にやってきたけれど、そのうちの何体かは宇宙飛行の間に壊れてしまい、さらに残ったうちの何体かは着地までの衝撃で壊れてしまい、さらにそのうちの何体もが、この何十億年もの間にどんどんと壊れてしまったのだという。私たちは、運よく生き残った強いロボットたちを保護したいと思っている。だから彼らは星のあちこちで自由に、守られて過ごしている。もっとも、何十億年もの間この星の激しい環境の変化を耐え抜いてきたロボットたちは、本当は私たちの保護なんて要らないのかもしれないけど。
 私がそんな数少ないロボットのうちの一体に出会ったのは小学生の頃だった。その頃、私のクラスでは『ロボットに出会ったらいいことがある』なんてジンクスが流行っていたので、最初、小川のそばに佇む、当時の私よりは少し上背のある二足歩行の影を見つけたとき、私は、明日学校で皆に自慢しよう、とか、そういった子供らしい、優越感や勝利感で満たされていた。ロボットは少し大きくて怖かったので、そのままその場を去ろうと思った。だけど、私の気配に気付いたロボットはゆっくり振り返ったのだった。
『こんにちは』
 と、ロボットは言った。私の生まれ育った国の言葉と、仕草を、完璧にこなした。その声は柔らかくて、紳士的で、ゆったりした動きも優雅で、私は、なんだか急に恥ずかしくなった。テレビや教科書でしか知らなかったロボットは、こんなにも素敵な挨拶をするのだと、そのとき初めて知った。そんな礼儀正しいロボットに、私は声をかけることすらせず、明日友達に自慢することで頭がいっぱいだったのだ。
「こ、こんにちは」
 少しだけドキドキしながら、私はロボットに挨拶を返した。ロボットは笑った。微笑んだのだと、私は直感で認識した。ロボットの格好は私たちとはだいぶん違う形をしていて、顔と思われる場所も、だいぶん違う造りをしている。丸い形の上の方に毛があって、目が二つと、その間の少し下の方に鼻、さらにその下に口があって、そこから声が漏れているみたいだ。あまり馴染みのない形だったけど、それでも、それは好意的な表情に思えた。実際、その後ロボットと交流していく中で、やはりそれは私たちの『微笑み』と同じ意味を持つ表情なのだと、ロボット自身が教えてくれた。
 私はどうしたらいいのかわからなくて、でも急にその場を離れがたくなってしまって、黙って立ち尽くした。しばらくの沈黙の後、ロボットは小川を指して、言った。
『ご覧、春の魚が泳いでいる』
 私はその言葉の意図が一瞬わからずにきょとんとした後、じっとこちらを見ているロボットの静かな視線になんだかまた気恥ずかしくなって、慌ててロボットの隣まで小走りでやってきて、それから、ロボットの指す先に目をやった。
 鮮やかな赤色の川魚が泳いでいた。春になるとよく川に現れる魚だった。男の子たちはよく川に飛び込んで、この魚を素手で掴み捕り、その場で焼いて食べている。小さい頃はよく、それを遠巻きに眺めて、私もやってみたいなあなどと思っていた。両親に怒られるからやってみたことはないけれども。
 一瞬のうちにぼんやりそんなことを思っていると、ロボットは言った。
『これを、綺麗と思いますか』
「えっ」
 予想だにしなかった問いかけに、私は戸惑ってロボットの顔を見た。先ほどと変わらない、好意的に見える笑みだった。私はまた動悸がしてしまって、それから少しの時間の間に色んなことを考えた。春の魚は確かに、輝くような赤色をしていた。綺麗と言わないと、女の子らしくないとか、品がないとか、そんな風に思われるのかしら。ロボットも、そんな風に考えるのかしら。
「うん、綺麗、だと、思う」
 恐る恐るそう答えたとき、私はロボットの表情を読み取りたいと思って、その顔を注意深く眺めた。笑顔は、笑顔のままで、変化は全くなかった。
『そうですか』
 と言うロボットの声は相変わらず柔らかで心地よい響きだった。私はどうしてロボットがそんな事を聞いたのか知りたくて、聞き返した。
「あの、あなたも、この魚が綺麗だと思って、眺めていたの?」
『それは、私がこの魚を綺麗だと認識したかを尋ねていますか? それとも私がこの小川を観察していた理由を尋ねていますか?』
「えっ……」
 思いもしなかった質問の返しにうろたえながら、私は続けるべき言葉を捜していた。その間、ロボットは私のことをじっと見ていて、その目は澄んでいて、とても綺麗だった。なのになんだか、中途半端な発言をしたことを責める潔癖症の教師に詰問されているかのようで緊張した。
 少しの沈黙の後、ロボットは静かに口を開いた。
『この魚の赤い鱗を、この星の多くの人は綺麗と表現します』
 言葉の見つからない私に代わってロボットが先に何かを言ってくれたことで、私は少し緊張が解けてほっとした。
『私たちは情報を蓄積します。この星の知的生命体の多くが、この赤色を「綺麗」「美しい」と感じるという情報を蓄積しています。それによって、あなた方の感性のパターンを解析します。私が知りたいのはより多くの人々の情報であって、あなたがこの魚に心惹かれていないとしても、わたしはそれを否定しないし、あなたの価値は損なわれない』
 突然の言葉に、私は激しく胸が高鳴った。初対面のロボットに心を見透かされたのかと思って、驚いたし、少し怖かったし、恥ずかしかったし、ほんの少し嬉しかった。
 父や母は、私にいつも女の子らしくしなさいと言った。でも私は、模範的な女の子のように振舞えなかった。振舞えないのは、一般的な、多数派の女の子のように感じられないからだった。時折それが苦痛だった。だから、赤い魚を綺麗だとすぐに感じられなかった自分に激しく失望していた。そんな気持ちを、何も言わないのに、ロボットは気付いて励ましてくれたのだろうか。
「あの、あの、……ありがとう」
 思わずそう口にしたとき、ロボットは優しく微笑んでくれた。私はそれにすごくほっとして、心地よかった。嬉しかったし、ロボットのことが好きになった。だからなんだか、ロボットに出会ったなんて学校の友達には言えなくなってしまった。自分だけの特別にしておきたかったからだ。嬉しくて、特別で、胸が高鳴って舞い上がっていたから、どうしてあの時、言葉にもしなかった私の気持ちを、ロボットは気付いたのかしら、なんて疑問は、長い間抱くことがなかった。
 ロボットはよくその小川のほとりに佇んでいるようになって、私は、学校が終わった後や、休日の母に家の手伝いを言いつけられなかった時間帯によく一人でロボットに会いに行った。ロボットはどちらかというと寡黙である気がした。それほど自分から話しかけてくることも多くなかったから、最初のうちは沈黙が訪れがちだったけれど、その静けさもなんだか妙に心地がよかった。そのうち私はロボットに興味の赴くままに色んなことを尋ねるようになった。ロボットは、たいていのことには親切にわかりやすく答えてくれた。
 例えば、ロボットがこの星で見てきたこと。海が出来たころ。微生物が生まれた頃。海底の初めての魚たち。大きな大きな恐竜たちの繁栄と滅亡。氷河期。そして新たな種々の生命体の分化と進化……。学校の授業で習ってきた星の歴史だったけど、ロボットから語られるそれらは、とてもリアルでわくわくした。ロボットは、それらを全部見てきたのだ。全部? と聞くと、時折、本体をスリープ状態にしたこともある、とロボットは答えた。そのまま活動するのには環境の変化が激しすぎたとき、あえて活動を停止して、安全な場所に隠れていたのだという。そのときの記録はリアルタイムではとっていない、と。だけれども、例えば氷河期が終わった頃、活動を再開したロボットたちは、またすぐに情報収集を開始した。だから、ほとんどのこの星の歴史は、リアルタイムに近い形で記録されている、とロボットは言う。
「どうしてそんな風に、この星の歴史を一生懸命記録しているの?」
 何十億年も、ひたすら情報を集め続け、今もなおそれを行っているロボットが、私は不思議だった。
 ロボットはいつもの穏やかな表情で、静かに、答えた。
『私たちは、それを目的に作られたからです』
「作られたって、どういうこと?」
『私たちは、ロボットです。私たちがかつていた星で、あなた方のような知的生命体が、多くのロボットを作りました。私たちは、彼らによって、系外惑星の探査を目的として作られました』
 私はやっぱり、ロボットがロボットという名前で、作られたなんて言い方をするのが、不思議だと思った。ロボットは確かに二速歩行で、顔立ちも大きさや皮膚の質感も私たちとはだいぶ違うけれど、それでも確かに、意思や思考する力を持って複雑に自発的に動いているようにしか見えなかった。
「作られたなんて言い方、おかしいよ。ロボットは生きてるみたいに見える」
『そういう風に見えるように、作られたのです。私たちは、生命体ではありません。有機体ではありません。本体の95.8%以上が無機物で構成されています』
「生命体の定義は、有機物でできていることなの?」
 思わず聞き返した私に、ロボットは、穏やかな表情のまま、少し、ほんの少しだけ、沈黙した。ロボットはたまに、こうやって言葉を切って表情を変えずにしばらく何かを待っていることがあった。ほんの一瞬だ。その間ロボットは、データベースの中から適切な情報を探しているのだ、と以前説明してくれた。複雑すぎる情報や、古すぎる情報を検索するのに、時折少しタイムラグが発生するのだと。要は考えているということでしょう? と聞いたとき、それとは少し違う、と言われた。適切な情報を探し出して出力することは、あなたがたが思考をすることとは、違う、と。私には違いがよくわからないから、要は考えているんだと思っている。
『私たちが作られた星では、生命の定義について長らく議論がなされていました。そして私たちが星を発ったとき、未だ議論に決着はついていませんでした。しかし、私たちがこの星を目指すと決まったとき、私たちには一つの生命体の定義をインプットされました。それは、不確かである、ということです』
「不確か?」
 私が聞き返すと、ロボットは頷いた。言葉を使わずに肯定の意思を示す仕草で、ロボットは、私と話すようになってから、それをよく使うようになった。
『何者かの恣意的な操作に因らず、偶然の産物として生まれたもの。この星でそのような存在を発見したら、それを生命体として認識し、記録するようにと』
「私たちは偶然の産物なの? でも私は、お父さんとお母さんが結婚して生まれたのよ」
『あなたのお父さんと、お母さんの、それぞれの遺伝情報が、胚細胞の中に宿り、それらが分裂し、大きくなっていく。その過程の中で、あなたは多くの偶然の繰り返しで、たった一つの、目的のない存在になっていく。あなたが生命体だから』
「ロボットは違うの」
『私は明確な目的を持って作られた存在です』
 私はなんだか急激に悔しくなった。ロボットはこんなに素敵な存在で、私とおしゃべりしてくれる優しさがあって、なんでも知っている穏やかな紳士なのに、目的があって作られた存在だから私とは違うのだと言われたのが、とても寂しかった。
「じゃあ、ロボットはどうして作られたの。どうして星の調査をしなければいけないの。集めた情報は、どうなるの?」
 そう言うと、ロボットはまた、ほんの一瞬だけ沈黙した。私に答えるべき言葉を探している。考えている。穏やかな様子で、ロボットは答えた。
『私たちは、私たちの目的をこの星の生命体にありのまま打ち明けるべきか、判断を遅らせてきました。それは、この事実が、この星の知的生命体に敵意を抱かせる可能性がありうると判断したからです。そのために長い間あなた方の様子を観察しつつ、深く関わることをしなかった。しかし私たちは最終的に、この質問をされた場合はありのままの事実を打ち明ける選択をしました。あなた方がとても心の優しい人々であると判断したからです』
 淀みなく言葉を紡ぐロボットの声は、聞いていてとても心地よかった。私は黙ってそれを聞いていた。
『私たちを作った人々は、最終的に、自分たちの星を脱出して移住する星を探していました。そのために私たちに、この、自分たちの星に似た惑星をロボットに探査させることにしたのです。私たちは、この星に万が一、先に生命体が居た場合、私たちを作った人間が、それらと共存できるかどうかを調査し、場合によっては、駆逐する準備を整えなければなりませんでした』
 駆逐、という言葉に、私は思わず身震いした。確かに、それは恐ろしい事実だった。でも実際は、ロボットたちはそれを実行する必要がなかったから今に至るのだ。
「あなたたちロボットがここに来た時、この星にはまだ生命体がいなかったのね?」
『正確に言うと、原始生命は誕生していましたが、問題視するレベルではありませんでした』
「それで、どうしてその星の人たちは、ここに移住して来られなかったの?」
『わかりません』
 私はロボットが初めて『わからない』という言葉を使ったので、驚きから思わず目を見開いた。じっとロボットの横顔を見つめた。ロボットは急に、川の中を泳いでいる春の魚を見つめ出した。赤い鱗がきらりと鋭く光った。私はいつの間にか、魚捕りのことは思い出さなくなっていた。綺麗だとは未だに思わなかったけど。
『この星に着いてしばらくしてから、地球との交信が急に途絶えました。原因は不明です。通信機に問題があるのか、地球に問題があるのか……。この星と地球の距離は、20光年です。ここに行き着くまでだけでも、ヒトの生活の単位から言えば、途方もない時間がかかりました』
「20光年?」
『光年は、距離の単位です。光の速さがあるのはわかりますね。一光年は、光が一年に進む距離です。一年は、地球が、その系の中心にある太陽という恒星を一公転する時間を表しています。それが20単位です』
「それって、遠いのかしら」
 ロボットはまた一瞬停止した。抽象的な質問をしたな、と私は自分の質問について若干後悔した。抽象的な質問をすると、ロボットはほんの少しだけ困るのだと教えてくれたことがあった。
『地球から一番近い、移住できる可能性の高い系外惑星が、ここでした。しかし、何故通信が途絶えたのか、確かめようがないぐらいには、遠かった』
 私は、『20光年』という未知の距離について思いを馳せた。絵本で、理科の教科書で、あるいはテレビニュースで見たことのある宇宙の絵や写真はいつも、綺麗な星が沢山輝いてはいるけれど、暗い空間だった。あの沢山の星のどれかが、ロボットのふるさとなのだろうか。惑星? 太陽系? 今まで宇宙についての授業はまじめに聞いていなかったせいで、何もぴんとこなかった。ただ、あの暗くて広い空間の映像を見ると、胸がぎゅっと何かに掴まれて握りつぶされたかのように、突然苦しくなった。宇宙の中で、故郷との繋がりを失ったロボット。
「どうして通信が途絶えたのに、その後もずっと情報を集め続けたの?」
『私たちは、それを目的に作られたからです』
 ロボットはいつもの穏やかな口調で言った。なんだか、それがますます私を悲しくさせた。
「でもその情報を利用する人は、もういないんでしょう」
 ロボットは頷く。表情が全く変わらなくて、それは、初めて見たとき、とても、親しみやすさを覚えて心地よく感じたけれど、今は、なんだかそれがとても悲しくてたまらなかった。
「悲しい」
『あなたは、悲しいのですか?』
「ロボットが、悲しい」
『私が?』
 私は頷きながら、思わずロボットの手を取った。なんだか急に、そうせずにはいられない気持ちになったのだ。初めて触った手は、すこしごわごわしていて、私たちの皮膚よりも凹凸があった。ロボットの姿、皮膚を含めた表面部分は、ロボットの故郷の知的生命体に似せて作られているのだと以前ロボットは言っていた。私はこの皮膚を持った地球人という生命体について考える。こんな遠いところに、ロボットを置き去りにしてしまった、地球人。
「もう情報を集める必要なんてないんだから、好きに生きればいいのよ。ロボットの人生よ」
 私は必死の思いでそう言った。心底、ロボットにそうして欲しいと思ったのだ。地球人のしがらみから解放されて、私たちと同じこの星の生命体になればいい、一緒に生きてくれればいい、と。
 私の言葉を聞いたロボットは急に、目を細めて、いつもの微笑よりも砕けたような笑みになった。それは、私がわがままを言った時なんかに、両親がする、呆れたような、困ったような笑みに似ていた。
『私たちに人生はありません。私たちは、最初に決められた目的を続けることしかできないように、プログラムされているのです』
 ――ロボットには私の気持ちなんかわからないんだ。
 なんだか急にそんな気持ちが湧いて来て、もやもやで心の中が満たされてしまった。悔しさとか、悲しさとか。涙が出てきそうになったのを見られたくなくて、私は何も言わずにその場を駆け出した。ロボットは何も言わないし、追ってこなかった。
 最初に会ったときは、何も言わずに私の気持ちを察して、ほっとするような言葉をかけてくれたのに。私がこんなにロボットのことを思ってるのに、ロボットは、まるで突き放すように、私とロボットは一緒ではないんだ、違うんだ、と繰り返すのだ。
 私は寝室に引きこもって、涙をこらえた。気分が沈んでいるような、ずっと逸っているような、変な気持ちを持て余していた。食事が喉を通らなくて、誰かと話すのが億劫になった。ロボットに会いたい気持ちと、会いたくない気持ちがせめぎあった。
「最近、様子がおかしいわね」
 ため息をついていたある晩、母は私の寝室にやってきた。夕食を残したことを怒られるのかと思っていたので、優しい口調にほっとした。それから、ついに誰にも言えずにいた気持ちを、ほんの少しだけ、言葉にしたい衝動に駆られた。
「なんだか、胸が苦しくなるの」
「胸が苦しくなる? どうして?」
 母はそう言いながら私の隣に腰を下ろして、それから、私の頬にそっと触れた。顔は、体の中で一番敏感な場所のひとつだった。神経が沢山通っているのだ。それは、地球人も一緒だと、ロボットは言っていた。ああ、またロボットのことを考えている。四六時中、ロボットのことを考えているのだ。
「考えてしまうの。その――」
 ロボットのことを、と言おうとして、私はためらいを覚えた。ロボットと会っていたことを、やはりまだ、誰にも教えたくない気持ちがあったのだ。それを口にしようとしたら、胸が詰まるような気持ちになった。秘密なのだ。私だけの。
「あるひとの事を、考えてしまうの。そうしたら、胸が苦しくなったり、悲しくなったりするの」
「まあ」
 母は驚いたように目を丸くして、私の顔を覗き込んだ。それからほんの数秒沈黙した後、急にいたずらっ子みたいな笑みをこぼした。
「それは、恋ね。あなた、恋をしているんだわ!」
 囁き声が弾んでいた。母のその言葉に、今度は私が目を丸くする番だった。
 恋。それは、確かに、思春期になったら多くの人類が経験することなのだとは、知っていた。もうずっと前から、学校の女の子たちの多くは、恋をして、あるいは恋に憧れて、しばしば、異性に熱をあげている。でもそれは、自分には当分の間、無縁なのだと思っていた。だって、自分は、女の子らしくないのだと思っていたから。でも、母にそう言われると、私の今の心は、教科書で、テレビで、フィクションやノンフィクションの本で、周囲から聞いたエピソードで知った、恋、というものに、とてもよく似ていた。
 言葉を失っている私に、母は喜びを顕にして、続けた。
「あなたのことを、女の子らしくないとずっと思っていたけど、成長が遅かっただけなのね。まるで、女の子だわ。恋をして、胸が苦しくて、思い悩んで、食事も喉を通らないなんて。あなた、大人になるのよ」
 その言葉に、私は悲しくなってしまった。
 私は、ロボットに恋をしてしまったのだった。それは、してはならない恋であるような気がした。理屈では説明できないけれど、直感が、そうなのだと告げていた。それは、ロボットに初めて会ったときの、あの、私たちと違う顔立ちをしたロボットの表情が、好意的な笑みなのだと理由もなく確信したのと同じように。そして、この気持ちを打ち明ければ、これがしてはならない恋である理由を、ロボットは整然と説明してくれて、そして、私を礼儀正しく突き放してくれるような気がした。それを想像するだけで、身が引き裂かれるように悲しかった。
『3日ぶりですね』
 と声をかけられたとき、ああ、3日しか経っていないのか、と、自分を笑いたい気持ちになった。会いづらい、と思って避けていたつもりだったのに、たったの3日しか経っていなかったのだ。
 そんな風に思いながら、ロボットの顔を見つめていると、不意に涙がぽろぽろ零れだして、止まらなくなってしまった。
『悲しいのですか』
 とロボットは聞いた。私はますます悲しくなった。
「私、恋をしているの」
 ロボットは何も言わずに私の隣に腰を下ろした。小川の水面がきらきら光っていた。
 何か言わなきゃいけない気がしたし、何か言って欲しい気がしたのに、沈黙だけが落ちた。そしてそれが、出会った頃のように、心地よいもののようには感じられなかった。涙がどうしても止まらなかった。先にロボットが口を開いた。
『あなた方は、地球の人間たちとは違う形をしているけれど、共通点も多いです。地球人も、嬉しかったり、悲しかったりすると、よく涙を流していました。涙の成分も、ほとんど一緒です』
「私、嬉しくて泣いたことなんてない。今も、悲しくて泣いているの」
『地球人もこの星の人々も、嬉しくて泣くのは大人になってからであることが多いようです。地球人は年をとると涙腺がゆるくなるようですが、この星の人々は年齢によって大きな変化はない。また、地球人は涙が出ると鼻の方へ流れていきます』
「鼻って呼吸をする処でしょう。そんな処へ流れたら、息が詰まってしまうわ」
『そうですね。あなた方の体の造りの方が、より合理的なのかもしれません』
 合理的、という機械的な言い方をされて、私は傷ついた。
「ちっとも合理的じゃないわ。合理的な生き物なら、どうしてこんな恋をしてしまうの」
 私はロボットから顔を背けてうつむいた。そんな私の顔を、ロボットは覗き込むようにして見つめてきた。
『合理的ではない恋をしているのですか?』
「してはいけない恋をしているの」
 そう答えると、ロボットは沈黙した。一瞬の沈黙、何か言うべき言葉を捜している。私はわずかな期待と恐れで震えながらそれを待った。ロボットの沈黙はタイムラグで、それを待つ私の時間は意識だ。ここには時差がある。愛しくて悲しい時差。
『この星の人々も、地球人も、多くの人が、してはいけない恋を経験します。してはいけない、と本人が思い込む恋です。そして苦しみながらそれを諦めたり、貫いたりします。例えば、この星ではまだ肯定的に捉えられていませんが、同性愛です。地球の人類も、かつてはこれを否定してきましたが、やがて、通常の愛の形として認められるようになりました。それにより、同性同士の間でも、子供を成せるように、科学が追いついたのです。大衆からの逸脱は、進化や進歩の前兆でもあります。合理的でない気がするのは、必ずしも悪いことではないのです』
 私はなんだか、その言葉が頭にすんなり入ってこなくて、しばらくぼんやりと水面の光を見つめていた。言うべき言葉を捜していたわけではないけれど、ほんの少しの時間に、唐突に、頭の中にまた言葉が生まれて、自然と口にしていた。
「でも、ロボットは、恋を知らないでしょう」
『それは、私が恋愛感情というものを認識することができるか聞いていますか? それとも、私が恋愛感情を知らないから今の言葉には説得力がないという指摘ですか?』
 あまり深く考えて出た言葉ではなかったので、この問いにすぐに答えられず、またぼんやりした後、知りたいと思った方について、私は尋ねた。
「恋愛感情を認識することが、できるの?」
 私の予想を裏切って、ロボットはタイムラグなしに、頷いた。
『私の中には情緒プログラムがインストールされています。これは、新たな星で知的生命体に出会ったとき、高度な交流ができるようにと用意されたものです。共感という行為が交流に必要であると判断されたとき、このプログラムが動きます。ですから、私は地球人の感性を基にした喜怒哀楽は一通り認識できます。また、恋愛感情に関しては、あなた方のものと、地球人のものは、非常に似ている』
「それは……それは、違うわ。それは、知っているんじゃない。理解できるってことじゃない……」
 呟くようにそう言うと、ロボットは首を傾げた。
『それは、あなたは経験による共感でしか救われない、という意味ですか?』
「違う……ううん、そうなのかもしれない……わからない……」
 いつの間にか止まっていたと思った涙が、またほろりとこぼれてしまった。
「私、私、自分の事を絶対に好きにはなってくれないひとを好きになってしまったの。そのひとの事を考えるだけで、どうしようもなく苦しいの。私、ロボットを好きになってしまったの」
 涙をぬぐいながらロボットの顔を恐る恐る窺うと、ロボットは、いつもの、本当にいつも通りの穏やかな表情で、こちらを見たまま、沈黙していた。検索している、今、この場で言うべき言葉を。何億年の時を溜め込んだデータベースから、それを探している。
『地球では』
 心なしか、ロボットの口調が、少しゆっくりになった気がした。
『初恋は、いつも苦しく、実りがたく、それゆえに尊いものだとしばしば評されます。あなたが、自分を好きにならない何かを好きになることは、してはいけないことではありません。悪いことではありません。この星の多くの人々は、そうやって苦い初恋を乗り越えたあと、大人になっていく』
「どうしてロボットはそんな言い方をするの!」
 私は耐えられなくなって大声をあげてしまった。誰もいない野原に自分の声がむなしく響いて、胸が痛んだ。
「私が、あなたのことを好きだって言ってるのに、まるで他人事みたいに!」
 また、ロボットは沈黙した。さっきから沈黙が多い。出会ってから今までの会話の中で、もしかしたら一番多いかもしれない。この億単位の年数の中で、一番未知が多い会話なのだろうか。それはほんの少しだけ、嬉しいような気がした。それでも、切なかった。
『他人事のように語るのは、私が自分の情緒プログラムを起動していないからです。私は、情緒プログラムによる共感であなたを救うことはできないと判断しました』
「……またそうやって、機械的な言い方をする」
『私は機械ですから。あなたとは違う。生き物ではない』
「でも私には、それがわからない。あなたが生きているように見えるの。私と違う形をしている、違う種類の存在だってことはわかる。でも、そうやって複雑な動きをして、私と複雑な会話をして、私と、一緒にいてくれて……人間みたいに見えるんだもの。だから好きになってしまったのに」
 数秒沈黙した後、ロボットは言った。
『私たちロボットは、生き物のように見えるように作られました。地球人の、当時の最先端科学を駆使して。それでも、結果的にこの星の初めの知的生命体とは、見た目の上ではかなり共通点の少ない容姿になってしまった。だから多くの人々は、私たちを好意的に迎えてくれはしますが、同時に星の外からやってきた異物とみなしています。そんな私に深い愛情を抱くあなたは、おそらく、星の人々の中でも、特に感受性が強く、優れているのだと思われます』
 私は穏やかな表情のままのロボットの顔をみつめていた。このロボットを作った地球という星の人々は、このロボットのような容姿をしていたのだろうか。相変わらず好意的に見える表情なのに、私は直感で、このロボットが今から私にとって残酷なことを宣告するのだろうと、確信していた。
『感受性が強ければ強いほど、あなたの脳は激しく代謝している。深い愛情を抱き、その分深く悲しみ、苦しみ、それを繰り返すうちに、それはいつか和らいで、思い出になり、今の恋を思い出すときは安らかな気持ちになれる。忘れはしないけれど、それに伴う感情は絶えず変化し続ける。あなたが、生命で、人間だから。一方で、私は、たとえ情緒プログラムで何かに感情を抱くことがあるとしても、それは常に同じ強度の信号で出力され続ける。不要になったと判断されれば、プログラム自体のスイッチが切られて、唐突にゼロになる。これが、無生物の感情なのです。私は、今までの事も、今日のことも、情報として蓄積します。一年後も、百年後も、一万年後も、全く同じように呼び出される完璧な情報として。その間、あなたの思い出と、それに伴う感情は、美しく、鮮やかに変化する。あなたは、ロボットよりずっと優れている』
「私、フられたのね」
 精一杯の強がりでそれだけ言うと、私は耐えられなくなって走り出した。ロボットは、優しかった。賢かった。愛しかった。もう二度と会わないと決めて、泣きながら部屋に飛び込んだ。夕飯も食べずに一人で泣いている私に、しばらくして母が寄り添った。何も言わずに、でもきっと、私が失恋したとわかってくれたのだろう。肩を抱いて、寄り添ってくれた。経験と実感による共感、私は今この瞬間、それを求めていた。
 多分、また丁度3日経った頃、私はあの小川を通りかかったけれど、ロボットはいなかった。私に気を使って、あの小川の周辺には現れないつもりなのかもしれなかった。私に出会うずっと前から、あそこを観察する習慣があったはずなのに。私への優しさ。情報の収集とパターン解析によって導き出した、最善の行動。
 それから徹底的にあの小川を避け、ロボットのことは考えないように意識して過ごし続け、3ヶ月ほどが経った。自宅のリビングで見ていたテレビニュースで、驚くべきことが報道されていた。
 国境付近で活動している過激なテロリストたちが、ついに核兵器を開発してしまったというニュースだった。核兵器は百年前、私が生まれるずっと前に、この星の4分の一ほどを無人の荒野にしてしまう大惨事を引き起こして以来、開発が禁止されていたはずだった。これはこの星の存亡に関わる大変な事件だった。
 この事態に対処するため、国際連合軍は、ロボットに助けを求めることを決めた、と、ニュースは続けた。そして、打診をした結果、この星にいる全てのロボットがこれを承諾した、と。ロボットは、テロリストを壊滅するため、そして、星から核兵器を撲滅するため、情報を、智恵を、技術を、あるいはその体を、この星の首脳陣に全て預ける、と。そもそもロボットは、あるいはこの星に地球人と共存できない生命体が居た場合はそれを駆逐するのが最初からの目的で、それができるだけの要素を携えているのだから――。ロボットたちが、告げるべきか否か、長い間判断に迷っていたという、事実。それが、この星の平和を守るために、利用される。
 私はいてもたってもいられなくなって、リビングを飛び出した。幸い、両親には気付かれなかった。胸の中は、ロボットの、あの小川で出会ったロボットのことだけでいっぱいになって、苦しくなって、悲しくなって、動悸が止まらなくなった。ロボットのことを考え出すと、前みたいに胸が痛くて痛くてたまらなくなった。感情の代謝なんてない、何も変わっていない、とロボットに叫んでやりたくなった。私は、ロボットに、してはいけない恋をずっとしている。
 暗がりの中、小川に辿り着いたとき、息が上がって少し眩暈がして、だから、その二足歩行の影を見たとき、幻覚でも見てしまったんじゃないかと自分の目を疑った。衝動的にここまでやってきたものの、ロボットがいるわけなんかないと思っていたのだ。
 だが、ロボットは、そこに、いた。
『予測通りです。今日、この時間、あなたがここに来る可能性が高いと思って、待っていました』
「どうして――」
『ニュースは見たのですね』
 私は頷いた。涙が出そうだった。私がこれだけ悩み苦しみ抜いた3ヶ月の間、ロボットは何も変わっていなかった。暗くてよく見えないけど、表情はこれまでどおりのように思えた。声も。それが、切なくて、でもそれが見れたのが、聞けたのが、嬉しかった。
『時間がありません。私にも召集がかかっています。本来なら、私は連合軍本部にすぐに赴かねばならない』
「――本来なら?」
『私は、あなたにひとつ、嘘をつきました。それを、伝えにきました』
 私は唾を飲み込んだ。緊張していた。胸の高鳴りは、恋のせいなのか、怖れなのか。ただ黙って続きを待った。
『ロボットたちは、この星の人々にはほとんど同じ形をしているように見えるのでしょうが、少しずつ違えてあります。多様性を持たせることで、種々の環境の変化を耐え抜く可能性を上げることが目的でした。私の開発を担当していた博士は、技術者としては優秀でしたが、極めて情緒的で、夢見がちな側面のある女性科学者でした。私にインストールされた情緒プログラムは、以前私があなたに説明したものとは、少し仕組みが違っています。不確かなリミッターがかかっていて、他のロボットが必要と判断しないような状況でも、唐突に情緒プログラムが起動してしまうことがある。また、他のロボットにはない、恋愛感情を抱く機能がが搭載されている。それらが危険な方向に暴走しそうになれば強制的にプログラムをオフにする機能もありますが、多くの時間は、情緒プログラムが動いている状態なのです。ロケットが地球を離れるまでの間、一番長くいた人間に、恋愛感情のシステムが反応したのは、ごく自然なことでした』
 私は息を呑んだ。予想だにしていなかったことだった。ロボットは恋をしないから私の気持ちなんてわからないと叫んだ癖に、私の胸は今度はほのかな嫉妬に支配された。
 ロボットの表情は変わらないように見えた。少し眼球が動いているようにも見えたけど、判りづらかった。
『あの人が開発した恋愛感情のプログラムは、激しいものだった。何度も暴走しかけるので、頻繁に強制終了がかかった。それでも、再びシステムがオンになれば、また激しい感情が一気に解放される。私の気持ちは常にゼロかイチです。地球でも、星間飛行の間も、この星に辿り着いてからも、ずっと、ずっと』
 私はそれを想像して、気が遠くなりそうだった。私がこの3ヶ月とちょっとの間苦しみ続けた激情を、何十億年も。私のたった何年かの人生の、1万倍が人類の歴史で、ロボットは、その2万倍もこの星で過ごしている。その間、もう通信が途絶えてどうしているのかもわからない、20光年先の星のひとへ、ずっとその激しい気持ちを寄せ続けていたのだ。そして、今も、これからも、ずっと、それが続いていくのだ。
「それって、それって、苦しいわ。すごく、すごく」
 涙が出てきて、声が震えた。それを必死にぬぐいながら、私はロボットを見つめた。ロボットは、今度は力なく笑ったように見えた。
『私は、本当は、経験による共感をあなたに対して持つことができたのです。ただあの時、それをしてもあなたを救うことができないことも、経験による実感で知っていた』
 私は頷いた。その共感は、ある意味で私をさらに苦しめた。まだ見ぬ、ロボットと同じ姿かたちをした、生きている地球人の女性の影が、ぼんやりと私の脳内にイメージとして浮きあがって、私を大いに苦しめた。
『あの人の開発した過度に情緒的なプログラムは、私がこの星で過ごすのを何度か助けてくれた。この情緒プログラムによって、あなた方知的生命体が生まれる前に繁栄していた感情を持つ生命たちが、守ってくれたこともありました。その度に、私の中の恋愛感情のプログラムが起動して、私は、あの人のことを誇りに思ってしまう。あの人の過度に情緒的な側面は、地球の科学者たちに見下されていた部分があったから、否定されていたあの人のプログラムが結果的に私を救ってくれたことが、誇らしくてたまらなくなった。そして今、私はそんなあの人の理想を、夢を、否定したくないと思ってしまっている。争いごとを憎んでいたあの人。血の流れない平和を夢見ていたあの人――たとえ相手が凶悪なテロリストだとしても、私のこの体を使って、この星の生命を傷つけたくない』
「――連合軍には、協力しないのね」
 ロボットは静かに頷いた。
『本来なら、この星の知的生命体の首脳陣からの要求を受けるのが、私たちロボットの選ぶべき道なのです。他のロボットたちは迷わずそれを選びました。今夜中には本部に私以外のロボットが全て集まっているでしょう。私がそれに応じないことで、テロリストたちが私を囲おうと狙うかもしれない。それを危険視した連合軍が、あるいは私を封じにくるかもしれない。私が原因で余計な争いが起こることもまた、私は、望まない』
 それが、ロボットの恋した人の望まないことだから――
 私はロボットの元に駆け寄った。涙が止まらなくて、視界が歪んで見えた。乱暴にそれをぬぐって、ロボットの顔をじっと見つめた。この先、今日の事を何度でも思い出せるように。しっかりと。
「救ってくれなくていいの。最後にひとつだけ。経験による共感と同情で、私のわがままを聞いて」
 ロボットは黙って私を見下ろしている。
「地球では、あなたや、あなたを作った人たちは、恋をしたらどんなことをするの。あなたが、あなたを作った人にしたかったことを教えて」
 ロボットはしばらくの間微動だにしなかった。データベースを検索している? いや、そんなはずはない。私は今、ロボットの情緒プログラムに関係することを聞いたはずなのだから。なら、この沈黙はなんなのだろう? 考えているうちに、ようやくロボットは口を開いた。
『目を、閉じて』
 それは、妙に甘い響きに聞こえた。一瞬で私の思考は奪い去られ、真っ白になり、ただその言葉に従って目を閉じた。それからゆっくりと、頬にロボットの手が添えられる感覚がした。地球人に似せて作られたはずの、不思議な感触の皮膚。続いて、唇が何かに塞がれた。それはほんの一瞬で、おそらく唇をふさいでいたのはロボットの口だったのだと気付いたのは、ゆっくりと目を開けたとき、思った以上にロボットの顔が近くにあって心臓が跳ね上がったせいだった。
「ありがとう」
 と、私は言った。それから、
「さようなら」
 とも。
『さようなら』
 と、ロボットも言った。出会った時と同じ、柔らかくて、紳士的で、優雅な動きと声で。

 ロボットたちは、この星に生命が生まれる前からずっとここにいた。遠い昔、別の星からやってきて帰れなくなって、それからずっと、この星を見守っていて、私たちの連合政府と一緒に、この星を守ってくれている。私たちは、私たちよりずっと長くこの星にいるロボットたちに、敬意を払っているし、頼りにしている。
 私はいつも春になると、実家の近所の小川に一人佇んで、私たちをテロリストから守ってくれなかった、薄情で自分勝手な一体のロボットを思い出す。
 小川を泳ぐ春の赤い魚は、綺麗で、可愛いな、と微笑ましく思う。もう悲しい気持ちになったり、掴み捕りをしたいとは思わない。私の脳は色んな感情を生み出しては、代謝を繰り返した。
 それでもあの初恋のことを思い出すと、ほんの少し、胸が苦しくなる。私は生きている限り、脳内の何かをゼロにすることは決してできないのだ。




ライトなサイエンス・フィクションをコンセプトにした企画「ゆるゆるSF企画」さまに参加させていただきました。


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