第一章
トナシバ!
「そ、そんな、王女なんて」
美冬は一瞬言葉に詰まった後、慌てて言った。
「王女なんて、私、無理です」
「無理じゃないわよ」
首をかしげて、なんともないようにセルフィは答えた。
「少しの間の身代わりだし、そこの、王女のお付の者2名がちゃんと指南してくれるし」
「で、でも」
無茶をいうな、と美冬は思った。
いきなり見知らぬ異世界に来て、死んだ王女の身代わりをさせられるなんて、漫画にはよくある話のような気もするが、自分には絶対に耐えられない。
「無理です、私、王女なんて。ただの高校生だし、何も知らないし、王女なんて。そんな」
「私からもお願いします」
美冬の声を、少女が遮った。優しい声だったが、はっきりとした意思も感じられた。
「姫様が国のためを思って、最後にセルフィ様に託した希望の結果が、あなたさまなのです。姫様が亡くなったために、今後滞る公務もたくさんあります……それについては、私やカイン様が指南致しますし、決して無理ではありません」
「でも、でも」
唯一美冬にやさしく接してくれ、味方になってくれそうだと内心信頼しそうになっていた少女にも熱心に頼まれ、美冬は再び涙ぐみそうになった。
「カインとやら、あんたも頼みなさいよ」
「なんで俺が」
「サリエの言うとおり、アイシアの希望が、この子よ」
セルフィの言葉に、軽くカインがため息をついた。相変わらず不機嫌そうな顔をしていたが、寄りかかっていた壁から背中をはがし、美冬たちのいるテーブルに近づく。
「後生だ。この国の王女・アイシア殿下になってくれ」
そういって、ひざまづいた。中世ヨーロッパの高貴な騎士のような格好をしているカインがそのようなポーズを取ると、本当に自分が高貴な身分になってしまったようで、美冬は更に身がすくんだ。
「だめ、だめです、やめてください、私、帰りたい」
上ずった細い声が、頼りなく美冬の口から漏れた。その声の情けなさに、自分がますます惨めに思えてくる。
「帰れるわよ」
セルフィが答えた。
「――え」
「王女になってもらうのは、アイシアの兄貴が正式に結婚して、別の娘が公務をこなすようになるまでの期間だけ。ごたごたしてるからしばらくは無理そうだけど」
そうじゃない、今すぐ帰りたい。そういいたいのに、もうのどが上手く震えなかった。
「どう? 期間限定の王女。それならやってみない?」
美冬は頼りなく首を横に振った。制服のスカートを両手で握った。涙をこらえるのも、あと少しで限界をむかえそうだ。
セルフィが軽くため息をついた。
「だめって言われてもねえ……今すぐはあんたを元の世界に返すのは無理そうなのよねぇ」
「――え」
美冬は思わず顔を上げた。顔を上げてから、自分がずっとうつむいていたことに気づいた。
「だってあんた、私が予想してた場所と違うところにいたみたいなんだもの。送還の仕方、わからない。やり方探してみるけど、しばらくは、無理ね」
そんな。
絶望は、声にならなかった。
ひざの上にあった手に、生暖かいしずくが落ちた感触がした。
涙が、ついにこぼれてしまった。
そんな。
「あの……」
先ほどサリエと呼ばれていた少女の声が、した。その少女が、美冬の座っている椅子の側にひざを付くのがわかる。
「急なお申し出で、びっくりなさった事と思います……すぐにお戻りになられないのであれば、お返事をもう少しお待ちしてもよろしいのです。だから……その」
「泣くな。苛々する」
続けたのは、カインだった。
「占い屋、こんな泣いてばかりの女に、姫様の代わりが務まるとは思えん。いい加減にしろ」
「カイン様!」
サリエが鋭い声で遮った。
「突然見知らぬ国にいらしたのです。心細い思いをなさるのは仕方のないことではありませんか。その物言いは、あんまりです」
「そうね」
セルフィが落ち着いた声で言った。
「カインはこの子をアイシアの代わりにするのは反対なのね。でもサリエはそうでもない……と。じゃあ、こういうのはどう? この子に、王女になるか、否か、考える時間を与える。その間に、サリエとカインの方も、意見を統一する」
一瞬、部屋に沈黙が落ちた。美冬は、嗚咽をこらえるのに精一杯で、話の展開が読めずにいた。
沈黙を破ったのは、サリエだった。
「そうですね、私とカイン様ももう少しお話する必要があるようですし……」
いいながら、サリエは美冬の顔を覗き込んだ。
「あなた様も、休息が必要ですわ。今、お部屋をご用意いたしますね」
いいながら、にこりと微笑んだが、涙でその笑顔は美冬には歪んで見えた。
「ところで、お名前をお聞かせいただいてもよろしいですか? 私はサリエと申します。あちらの男性は、カイン・ヴォーレン様です」
「……美冬です」
しゃくりあげるのを必死にこらえて、美冬は言った。
「川口、美冬です」
サリエは口元を緩めた。
「ミフユさまですね。今、お休みできるお部屋をご用意いたします。どうか、涙をお拭き下さい」
そういって、腰元のバッグからナプキンのようなものを取り出すと、サリエは美冬の両手を包み込むようにして、それを手渡した。
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