第二章

トナシバ!


 結局、街中を歩き回って、絵梨の格好を不審そうに見つめる人々の視線に慣れてしまった頃には、あたりは真っ暗になっていた。街灯のようなものはなく、建物の窓からもれる明かりと、空で輝く星だけがわずかに街を照らしている。
 街は広すぎるのか、構造が複雑なのか、なかなか効率よく回ることはできなかった。気付いたら同じ場所に戻ってきていることがしばしばあった。
 あの後宿屋を3軒見つけ、同様に硬貨を見せたり、困っているのだと懇願してみたりしたが、どの店も最初の宿屋と同じく煩わしそうに冷たく、絵梨を追い払ったのだった。
 夜の空気はどこかひやりとしていた。夏服からむき出しになっている腕を風がさらりと撫でると、寒気がした。ここで野宿するのはかなりきついだろう。町には段々人も減ってきて、いよいよ一人で無防備にいるのが危険に思われてくる。だが寝床を確保する良い方法がどうしても思いつかない。
 絵梨は空を見上げた。周りの建物は皆高くて二階建てという低いものばかりだったので、絵梨の住んでいる街に比べて、空は広く拡がっているように見えた。周囲の明かりが少ないせいもあって、星はたくさん見えた。こんな綺麗な星空は初めて見る、と思った。思わず、ため息が漏れた。頼りない息だった。
 疲れていた。見ず知らずの場所で一人きり、物も、その場所の常識も知識も持たず、生きる道を模索しなければいけないという、途方のなさに。
 その時だった。
「よぉ、姉ちゃん」
 絵梨のすぐ背後で、少ししゃがれた若い男の声がした。
 絵梨は思わず振り返る。
「変わった格好してんなぁ。こんな時間に一人か?」
 背の高い、がたいの良い男だった。年は20前後か。リトたちほど薄汚いわけではないが、特別に立派な服装ではない。後ろに、同じような格好と背丈の男が二人控えている。
 三人とも、にたにたと気味の悪い笑みを浮かべている。不愉快だ、と絵梨は瞬時に思った。
 リトたちの事もある。あまり治安の良い街ではないのだ。少しでもおかしな人物には、なるべく関わらない方が良い。
 そう判断し、絵梨は無視して歩き出した。
「おいおい、無視かよ」
 男の声のトーンが一段階上がる。周りを歩いている通行人達の視線が徐々に集まりだした。
 かすかに心臓が速く鳴り出した。これは、危険な状況かもしれない。昼間のように、人が大勢いたら、人ごみの中にまぎれてすぐに逃げ出すことが出来たのに。
 そんな事ができないほど、人はまばらだった。
「待ちなってぇ」
 最初に話しかけてきた男とは別の男の声がしたと思ったと同時、行く手を阻まれた。男に激突しそうになった絵梨がつんのめりかけながら立ち止まると、下品な笑みを浮かべながら、絵梨の正面に立った男が顔を覗き込んできた。息が臭い。
「無視することないじゃん、ねぇ?」
 絵梨は答えない。話しかけられた瞬間に、全力で逃げなかった事を後悔していた。
「な、暇だろ?」
 別の男がそう言った瞬間、絵梨の肩に触れてきた。絵梨は反射的にそれを振り払おうとする。
「おっとぉ、気が強い姉ちゃんだなあ」
 しかし、その絵梨の手を逆に強く掴まれた。べとべとしたごつい手に、絵梨は寒気がする。
「ちょっとお話しようよ、もっと静かな場所でさ」
 男たちが笑った。これから起きることを考えて恐怖が込み上げてくる。
「離して」
 怒気を込めて言ったはずの言葉は思ったより小さい声になり、そして、明らかに震えていた。自分の口から出て、自分の耳に戻ってきた自分の声の情けなさに、絵梨は身震いした。
「なにも怖いことなんかしないよぉ」
「離して」
 絵梨は言いながら助けを求めようとあたりを見回した。しかし、町の人々は皆見てみぬふりをしている。絶望的だった。
「離して!」
 できるだけ強い声で絵梨は叫んだ。しかし、男達の品のない笑いは止まらない。強引に腕を引かれて、絵梨はつんのめった。そのまま裏路地に連れ込まれる。掴まれた腕を振り払おうと全力で抵抗したが、がたいのいい男の力にはどうしてもかなわない。
 裏路地は昼と違って、狭い星空からのわずかな光以外は何の明かりもない、本当に暗い場所だった。
 絵梨は壁に叩きつけられ、男三人に囲まれる。
「こんな短いスカートはいて、誘ってんだろう、なぁ?」
「俺達が相手してやるって言ってんだよ」
 男が絵梨のスカートを軽くめくった。スカートの中に冷たい外気が入り込んでくる。鳥肌が立っているのを自覚した。寒さのせいではなく、自分が絶体絶命の状況にある事実によって。
「やめて!」
 絵梨はできるだけきつく真正面の男をにらんだ。そうだ、負けるもんか。絶対に負けない。昼間だって、コウから奪われた鞄を取り返したのだ。自分は、絶対にこんな連中に負けない。
 しかし、男達はひるむ様子は全くなかった。にやにやといやらしい笑いを浮かべながら、絵梨へと手を伸ばしてくる。
 あまりの恐怖に、絵梨は思わず目を閉じた。

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