第三章

トナシバ!


 それぞれの計画が済んだら落ち合う予定になっていた町の一角に辿り着いたときには、絵梨の息は上がっていた。真昼の太陽が照り付けて、じわりと出てきた汗が全身にまとわりついているようだった。ここ数日、風呂に入れない事にかなりのストレスを感じている。
 誰もいない路地で、絵梨は深くため息をつき、背中を壁に預けて座り込んだ。
 まだ心臓が大げさに鳴っていた。前代未聞のとんでもない課題。そしてその失敗。危機。あの小太りの店主に後ろ手を拘束されかけた時は本当に恐ろしくてたまらなかった。リトが来なかったらどうなっていたかわからない。
 絵梨は額を抱えた膝に乗せた。
 リトに与えられた服の着心地は決してよくなかった。体は毎日布で拭いているが、服の替えはないので結局同じものをずっと来ている。気持ちが悪かった。ずっと履いている学校の内履きの中に、いつのまにかどんどん砂が入り込んでいて、歩いたり走ったりする度にざらざらと靴の中で存在を主張している。
「おい、何やってんだよ」
 突然、コウの声がして、絵梨は顔を上げた。結んだ唇に力が入った。連携して行うはずだった計画を、絵梨が失敗して台無しにしたのだ。それは否定できない事実だったので、非難が来るのも当然だ。絵梨は体を固くして身構えた。
「リトはどこいったんだよ? 上手くいったのか?」
 その台詞に、絵梨は一瞬動揺した。コウは町中を駆け回って丁度ここに来たばかりで、あの後何が起きたのかをまだ知らないらしい。絵梨は返事に躊躇した。
「なんだよ」
 何も言わない絵梨を妙に思ったのか、コウが眉を顰める。
「リトは――その」
 声が震えた。リトはどうしているのだろう。無事なのだろうか。迫力に気圧されて思わず後ろも振り返らずに走ってきたが、あの後どうなったのか絵梨には予測がつかなかった。
 口ごもった絵梨に、コウの顔色が変わった。
「まさか」
 声が小さくなる。
「つかまったのか」
 絵梨は弱々しく首を振った。つかまったかどうかはわからないが、無事かどうかもわからなかった。
「失敗したのかよ!」
 コウは今度は声を高くした。絵梨は何も答えられない。
「信じらんねー! なんであんな簡単な作戦で失敗なんかあるんだよ!」
 責めるような口調でそう言われ、絵梨はなんだかむっとした。身の危険を感じ、本当に酷い目に遭ったと思っているのに、こんな責められ方があるだろうか。
「店主が、すぐに戻ってきたのよ」
 今度の声は震えなかった。挑戦的な、いつもの自分の声を自分で聞いて、なんとなく安心感のようなものが戻ってきた。
 コウはそんな絵梨の言い分を鼻で笑う。
「俺がちゃんと連れ出しただろ! どんだけとろいんだよ!」
 絵梨は即座には言い返せなかった。あの時も今も、冷静になって総合的に状況を分析することができない。何を基準として、コウの店主の気を引いた行動が適切だったかを判断するのかもわからないし、絵梨が屋台をひっくり返す際に一瞬でも手間取ったのは事実だった。
「やっぱり、役になんか立たねーじゃんか」
 鼻で笑いながら、コウは絵梨に向かってそう言った。明らかに絵梨を馬鹿にし、軽蔑した表情だった。絵梨は黙っていられなくなった。何かが爆発したような感情が押し寄せた。
「なんであなたにそんな風に言われなきゃいけないの!」
 絵梨は感情に任せて大声でコウに怒鳴りつけた。怒気の含まれた声に、コウが動じる様子はない。
「お前が作戦に失敗したからだろ!」
「私は」
 思わず絵梨は立ち上がった。コウとの距離は3メートルほど離れている。中学生ぐらいに見えるコウは、絵梨とそれほど身長差もない。
 何もかもが許せない気分だった。突然知らない世界にやってきて、右も左もわからない。何もかも基準の違うこの世界で、宿無しの生活を強いられ、窃盗の共犯にならなければならず、それが失敗したらまるで無能者のように罵られる。
 どうしてこんな目に遭わなければならないのだ。
「好きであんなこと、しようとしたんじゃない。泥棒の真似事なんて」
 沸々とした怒りで頭がいっぱいになって、絵梨は何も考えられないまま言葉を口にした。
「泥棒の真似なんて、人として、最低なこと。そんなことが上手くいかなかっただなんて、責められる筋合い、ない!」
「んだと、お前、ふざけんな!」
 絵梨の言葉に、今度はコウが逆上する番だった。
「お前、ふざけんなよ! そんな事言うぐらいなら、俺達の仲間になんか入ってくんな! 出てけよ!」
 コウの口調にも表情にもかなりの怒りが現れ出ていた。しかし頭に血が上ったままの絵梨はそんなものにひるむ事はない。更になにか言い返そうとした、その時――
「二人とも、そこまでだ」
 落ち着いた大人びた第三者の声が、二人の間に割って入った。絵梨が振り返るのと、コウがリトの名前を叫んだのはほぼ同時だった。
「無事だったのか!」
 そういうコウに、リトは軽く頷き、それから絵梨の方にも視線をやった。決して穏やかな表情ではなかった。何も言わずに、リトは視線をコウの方に戻す。
「コウ、パクを探してきてくれ。急だが今日中に移動する」
「そんなことより、リト、今こいつが言ったこと、聞いてたんだろ!」
 コウは絵梨を指差して怒鳴った。絵梨が何かを言う前に、リトはコウが続けようとした言葉を遮るようにして、言った。
「話は後で聞いてやるから、先にパクを捕まえて来い。俺の言うことが、聞けないか?」
 そう言われ、コウはまだしばらく物言いたげに、不満げに絵梨とリトを見比べていたが、リトの命令には逆らえない理由でもあるのか、一旦鼻息を荒くした後、
「わかったよ」
 と小さく言って、表路地に向かって大股で歩き出した。

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