第三章

トナシバ!


 その晩、絵梨はコウがあの店から奪った果物をひとつ与えられ、寝袋で野宿した。リトがコウを連れてどこかに行ってしまい、絵梨の側にはパクがいた。ここ数日の間、リトが寝る前に絵梨の様子を伺いに来なかったことはなかった。避けられているのかもしれない、と絵梨は思った。コウとは大喧嘩になったし、その時に絵梨が言った事をリトも快くは思っていなかったのだから、当然かもしれない。追い出されはしなかったが、気まずい思いがあった。
 パクは絵梨に寝袋を与えるとどこかへ行ってしまった。彼は事情を知っているのか知らないのか、何も言わない。元々、余計なことはあまり口にしない人なので、何を考えているのかはわからない。
 あまり良く眠れなかった絵梨が翌朝、いつものように起床し、身支度をしていると、パクがやってきた。
「エリ、リトが呼んでるぜ」
 少しだけ気分が沈んだ。昨日の話の続きでもされるのだろうか。不安な気持ちのまま荷物をまとめると、絵梨はパクと一緒に移動を始めた。
 街の中で、絵梨が知る限りでは一番大きな道があった。道幅が最も広く、一番綺麗に舗装されており、普段から圧倒的に人通りが多い。ここには出店は無く、公人らしききちんとした服装の男達や、馬車が歩いていく事もあった。
 しかし今日はそれまでとは様子が少し違っていた。兵隊らしき物々しい男達が通りの中央をうろつき、街の人々を道の端の方へ追いやっている。通りに大勢の人が詰めかけ、道路の中央を空けるように並びながら、ざわついている。
「リト、連れてきたぜ」
 大通りの近くで待っていたらしいリトとマナにパクは声をかけた。絵梨が視線をめぐらせると、そこから少し離れたところで、コウが人ごみに紛れている。
 リトに視線を戻すと、目が会った。にこりとも笑わないが、とりわけ不機嫌そうな顔というわけでもない。絵梨には彼が何を考えているのか読み取ることが出来なかった。
「よく眠れたか?」
 突然リトが口を開いた。いつもどおりの何気ない聞き方に思えた。
「ええ」
 絵梨がそう言うと、リトは小さく頷いた。パクがその後ろであくびをしながら頭をかいていた。
「リト、そろそろ来るんじゃないか?」
「そうだな」
 パクの言葉にリトが答える。絵梨は何のことか解らず首をかしげた。
「何が来るの?」
「パレードがあるみたいですよ」
 絵梨の疑問に答えたのは、マナだった。澄ました顔をしたリトと、何事にも興味がなさそうなパクに対し、彼は少し楽しそうな表情と声色だ。
「パレード?」
 絵梨が思わず聞き返すと、マナが頷いた。
「国の偉い人がここを通るみたいです」
「どうして?」
「さあなあ」
 のんびりと答えたのは、パクだ。
「なんであれ、俺らには関係のない世界さ。王様だの、女王様だのよ」
 そんな会話の中、遠くの方から、何やら華やかな音楽が聞こえてきた。東欧の民俗音楽を思わせるようなものだった。絵梨が少し背伸びをしてみると、人垣の向こうに、派手に着飾った楽隊が行進してくるのが見えた。管楽器も打楽器も、綺麗に磨かれて眩しいほどに光っている。楽器を持たずに旗を振り回している者もいた。足踏みと共に音楽が段々と大きくなってくる。隣でマナがそわそわし始めた。
「本当は、ちょっと、僕達にも関係があるんですよ」
「どういうこと?」
「王様関係のお祝い事がある日は、いつもこの街の貧しい者達に食べ物や服なんかが配られるんです。だから僕達も後で城の方に行かないと」
 楽隊が更に近づいてきて、彼らの後ろには、厳かな兵隊服をまとった男達が整然とした行列を成して行進しているのがわかった。華やかな楽隊の雰囲気とは違い、皆無表情に前を向き、隙の無い動きが、彼らを訓練され抜いた上等の軍人達であるように思わせる。
 間近で聞こえる音楽と足踏みに、人々が更に熱気を帯びて盛り上がりだした。それに伴い、マナもそわそわとしだす。微かに背伸びをして、人垣の向こうのパレードを見ようとしているようだった。リトがその様子に気付き、ふと頬を緩めて、口を開いた。
「近くで見たいなら見てきて良いぞ、マナ」
「いいんですか!」
 その言葉にマナは無邪気に声をあげ、人ごみの中へ走っていった。明るい音楽に大勢の人間達がパレードを行う様子は、マナやコウのような少年達にとっては興味をかきたてるものらしい。
 絵梨はぼんやりとパレードやそれに群がる人ごみを眺めていた。眺めながら、先ほどのマナの言葉の事を考えていた。
――貧しいものへの施し、か。
 微かな嫌悪感が生まれるのを禁じえなかった。それは紛れも無く、このジュノの街で本当に極貧の生活を強いられている人間とは、違う世界に生きているからこそ、生まれてくる発想だ。
 兵隊の行進がゆっくり進んでいくと、その後ろには、巨大な輿のようなものが続いていた。絵梨はそれに目をやった。きらびやかな金色の巨大な輿には、色とりどりの宝石で装飾が施され、太陽の光の下でまぶしいほどに輝いていた。それは首が痛くなるまで見上げないと頂上が見えないほど背が高く、最上部にはカーテンつきの屋根のようなものがついている。そこに高貴な人がいるのだろう。
「すごい」
 思わず絵梨の口からため息が出た。華やかできらびやかで、目を奪われる光景だった。
「少しは、元気になったか?」
「え?」
 絵梨はリトの突然の言葉に驚いて、思わず隣にいた彼の顔を見た。リトは絵梨の方ではなく、通りのパレード隊員たちや町の人々の様子を眺めているようだった。何気ないことのように、リトは続けた。
「派手なものでも見たら、少しは気分も晴れるだろう」
 絵梨は思わず目を丸くした。リトは、自分を元気付けたくてここに連れてきたというのか? あまりに予想外のことに、どう答えて良いのかわからずに、絵梨はただ黙るだけになった。
 その時だった。
 ジュノの街に、風が吹いたようだった。
 輿の最上部にあったカーテンが、ひらりと、一瞬だけ、めくれたのだ。はためいたカーテンの深紅が太陽の光で微かに輝いたようだった。絵梨の目は吸い込まれるようにしてそれにひきつけられた。その時、随分と遠くにあるはずの、薄暗い輿の上の小部屋の中が、絵梨には見えたのだ。
「―――そんな」
 こぼれた言葉が、乾いた。リトがその様子に気付いて怪訝な顔をする。
「どうした?」
 問いには、答えられなかった。頭が混乱していた。有り得ないものを見たのだ。どうして、そんな事があるはずはない。見間違いかもしれない。そうだ、こんな遠くから見ているのだから、目の錯覚だってあり得る。
 しかし一方で、絵梨の直感が、それを真実だと訴えていた。
「エリ?」
 リトが絵梨の肩を叩こうとしたのより早く、絵梨はその輿に向かって駆け出した。わき目もふらず、必死になって、その名を叫びながら。
「―――川口さん!」

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