第三章

トナシバ!


 路上に集まっている群衆は皆、華やかなパレードに見入っていた。絵梨はそこに突っ込んで行く。人垣を押し分け、輿に向かおうと強引に進んだ。突然強く押された人が軽く悲鳴を上げる。
「エリ!」
 慌ててそれを追いかけながらリトが絵梨の名を叫んでいるが、それには構っていられなかった。道路の中央に向かうにつれ楽隊の音楽が耳をつんざくほどうるさくなる。
「川口さん!」
 もう一度、絵梨はその名前を叫んだが、かき消された。自分の声すらよく聞こえない。あまりの人の多さに、上手く進めず手間取っているうちに、輿は遠ざかっていく。
 あの一瞬、輿の中が見えたほんの一瞬、そこにいた女性が美冬に見えたのだ。カーテンと共に風になびいた黒い髪、小さい肩。陸上部で常にグラウンドにいる絵梨に比べ、美冬の肌は日焼けすることがほとんどなく、不健康から来る顔色の悪さも手伝っていつもかなり青白いものだった。自信の無さがにじみ出る背中は、極端に姿勢が悪いわけではないのにどことなく丸まって見える。
 見えたと思ったのはほんの一瞬だった。しかし絵梨には、美冬であるという根拠のない確信が湧いたのだ。
 ようやくかき分けた人垣の、先頭まで辿り着いた。急に視界が開け、少し先に、規則正しく行進する兵隊の行列があった。今まで力ずくで人々を押しやっていたのが、急に何もなくなって、その反動で絵梨がよろつき、それを見ていた警護の兵隊姿をした男がドスの利いた声で怒鳴った。
「これ以上は進めんぞ!」
 その迫力に絵梨が動揺したのはほんの一瞬だった。ますます遠ざかっていく輿に、焦りが生まれる。
「待って!」
 警備の男の制止を振り切り、絵梨は無我夢中でそれを追おうとした。それに対し、またがなり声がする。
「こら、何をする!」
 絵梨の耳元で鎧の擦れる音なのか、不快な金属音がした。兵の緊迫した様子に、俄かに周囲の人々も動揺しはじめている。それらを全て無視して、輿に向かって駆け出そうと絵梨が、した、瞬間。
 絵梨の意識は、そこで途絶えた。

「お、目が覚めたみたいだぜ」
 男の声がして、絵梨は我に返った。パクの声だ、と認識するまでに少し時間がかかった。後頭部にわずかな鈍い痛みを感じる。見覚えのある裏路地が目に入った。
「わたし……?」
「大丈夫かい?」
 状況がわからず、絵梨は戸惑ったようにあたりを見回した。不機嫌な顔をしたコウと目が会った。
「お前、何考えてんだよ」
 今にも大声で叫びだしそうなぐらいの怒気が含まれている声だった。
「あんなところで兵隊と問題になったらただじゃすまねぇんだぞ!」
 絵梨の脳裏に先ほどの出来事がフラッシュバックした。確かに、警備役らしい男が絵梨に怒鳴っていたことは覚えている。あれ以上輿を追いかけていたら、あの男達の怒りに触れていたかもしれない。
「大事になる前にリトが無理やり止めてくれたんだぜ」
 パクがそう言うので、そちらに視線を戻すと、丁度その後ろで困った顔をしているマナを見つけた。
「まあ何も気絶させることもないとは思うけどなあ」
「それぐらいしないと、わかんねぇんだよ、こいつは!」
 緊張感の無いパクに、コウが鋭く反応した。
 絵梨はもたれていた壁から体を起こした。まだ痛みの残る背中に軽く手をやってあたりを見回した。人々はまだパレードの方に集まっているのだろうか。このあたりには人気がしない。
「リトは?」
 パクが肩をすくめたのと、軽い足音が裏路地に響いたのは同時だった。
「目が覚めたのか」
「リト!」
 リトの声とコウの叫び声に、絵梨が振り返ると、コウがリトに駆け寄っていた。
「どうにかなんないのかよこの女!」
 リトは無表情の顔でパクとマナに目をやりながら、コウの頭に軽く手を置いた。
「配給が始まるらしい。先に3人で行って来てくれ」
「リトさんはどうするんですか?」
 聞き返したのはマナだった。パクがだまって立ち上がる。
 絵梨がもう一度リトの様子を伺うと、目が会った。
「俺はエリと話がある」
 声も顔も冷たいものに見えた。決して良い気分になる話ではないな、と本能でそれを察知して、絵梨は体を固くした。ひるまないように、リトの目から自分の視線を外さなかった。
「おい、リト、」
「お前の言いたいことはわかるから」
 何かを訴えようとしたコウをリトが遮った。
「俺からもエリに言っておく。それより王宮の方に急いで行って来い。すごい人だかりだ」
 言いながら、リトは目でパクとマナに合図をした。パクが頭をかきながらコウに声をかける。
「コウ、行くぞ。あとはリトに任せれば心配いらないだろ」
 パクに促され、コウは諦めたのか、絵梨の方に視線を向けて思い切り絵梨をにらみつけた。それに気付いた絵梨は負けじとにらみ返した。3人が視界から消え、小さくリトが息を吐き出す。
「エリ」
 名前を呼びながら、リトは絵梨に歩み寄ってきた。絵梨がもたれかかっている壁の向かい側の壁に、背中を預けて腰を下ろす。
 絵梨は返事をせず黙って、その様子を見つめた。

Copyright(C)2006- 碧 All rights reserved. designed by flower&clover
inserted by FC2 system