第三章

トナシバ!


「一体どうしたって言うんだ」
 ため息交じりの声でリトはそう言った。
「あんなところで兵隊と問題になったら、さすがに俺達でもかばいきれない」
 先ほどのコウの言葉をほぼ繰り返しているようなものだった。絵梨は困惑とやり場のない怒りで更に落ち着かない気分になった。
「だって」
 憤りから思わず言葉が絵梨の口からついて出たが、そのあとが続かなかった。言いかけて、絵梨は困ったまま口を閉ざした。だって、なんなのだろう。よくよく考えてみれば、あの時の自分の考えと行動はあまり筋の通っていないものだった。異世界の、しかもあんな大掛かりなパレードの中心に、美冬がいるはずがないし、仮にあれが美冬だったとして、絵梨に何が出来たというのだ。どれだけ大声で叫んでも声など届くはずが無いし、周りを取り囲んでいた兵隊が取り合ってくれたとも思えない。
「どうしたんだ」
 急に黙り込んで目を逸らした絵梨を不思議に思ったのか、今度は少し柔らかい口調でリトが聞いてきた。その声で一瞬我に返って、絵梨は視線をリトに戻した。目が、会った。
「何があったんだ?」
 絵梨は黙ってリトの目を見つめた。真っ直ぐ絵梨に向けられた視線は、鋭いものではないが、どこか隙の無いものだった。たかが街の野良とは言えばそれまでだが、若い少年達をまとめて世話しているのだ。知識や教養がなかったとしても、決して考えの足りない人間ではないのだろう。尊敬とまでは行かずとも、絵梨はリトの事を頼りにできる存在ではあると評価していた。
 ためらいがちに絵梨は口を開いた。
「あの……輿に、」
 一度言葉を切って、リトの様子をもう一度伺った。黙って絵梨の話を聞いてくれそうな様子だと思った。絵梨は続けた。
「知り合いが、いたの」
「知り合い?」
 明らかにリトの表情が変わった。怪訝な顔をしている。絵梨は目を逸らさずに頷いた。
「元いた世界の……クラスメイト」
 何も答えないリトの表情を見て、絵梨は自分の説明があまりよくないやり方だったと気付いた。リトも他の仲間も、学校になど行ったことが無いのだ。クラスメイトという言葉を用いても絵梨と美冬の関係を性格に理解してもらうのは難しいだろう。
 しかし、どういった説明が一番適切なのか即座に思いつかなかった。知り合い、と言えばそうだが、それよりはもう少し距離の近い関係ではあると思う。しかし、友達と言えるほど絵梨と美冬は特別に親しい間柄でもなかった。少なくとも絵梨の中では。
「学校で、一緒に、勉強してた子、かな」
 戸惑いがちに言葉を紡ぐ絵梨をリトは今度は少々怪訝な顔をして見つめた。
「それがあの乗り物に?」
 今度は絵梨はためらわずに頷いた。リトがふと、軽く息を吐き出した。ため息のようにも聞こえた。
「見間違いだろう」
 なんの感情も見えない声でリトは絵梨の話を否定した。
「あれは王とその家族しか乗れないものだ。中に女がいたとしたら、王女しか有り得ない」
「でも、私、確かに」
「あんな離れた場所から、ちらっと見ただけなんだろう」
 はなから信じようともしない物言いに、絵梨は苛立つと同時に失望した。そのまま押し黙った絵梨の様子を見て、リトは絵梨が諦めたとでも思ったのだろう、少し同情的な言い方に変わった。
「色々疲れがたまってるんだろう。気にしない方が良い」
 絵梨は黙ってリトから目線を外した。口が知らないうちにとがった。最初は絵梨自身、信じられなかったのだ。こんな所に美冬がいるはずはないし、見間違えたのかもしれない、と。しかしリトに全否定され、悔しさが込み上げてきた。そんなに、相手にされないほど、くだらないことを言ったつもりはない。
「そろそろ、王宮に行くか。配給は一人に一人分しか当たらないんだ。終わる前に行かないと」
 リトはそう言いながら立ち上がった。絵梨は黙ってそれを見つめていた。数歩歩いたところで、リトが振り返った。
「ほら、急ぐぞ」
 絵梨は苛立ちから、それに従う気が起きず、まだぐずぐずしていた。リトは絵梨の様子に構わずまた歩き出す。背中が段々と遠ざかっていった。腹立たしい気分は変わらない。しかし、配給とやらで衣食の確保をするのは重要なことにも思われた。
 しぶしぶ、絵梨がゆっくりと立ち上がった、そのときだった。
「エリ」
 突然、囁くように、背後から男の声がして、絵梨は驚きつつ反射的に振り返った。
 絵梨の背後に、大柄の男が突っ立っていた。無精ひげに、リトとは違う、筋肉質な身体。それが誰だか思い出すのに少しの時間を要した。ダンだ。昨日リトと軽く口論になっていた謎の男、と思った瞬間、絵梨は声を上げそうになった。それと同時、ダンは人差し指を絵梨の唇に当てようとした。黙れというサインだ。それが唇に触れそうになる瞬間、絵梨は素早く身を引いて回避した。ダンはにいっと笑った。
「あなた、何の用なの」
 小声で絵梨は言いながら、ダンをにらみつけた。ダンはひるまない。笑みを浮かべたままだ。この男の慣れなれしさは、初めて接触した日から絵梨に警戒心を抱かせる。
「あの輿に乗ってた女が気になるんだろ?」
「私達の会話、盗み聞きしてたわけ?」
 絵梨は思わず目を丸くした。どこかに隠れてリトとの会話を聞いていたと言うのか。若干の嫌悪感が湧いてきて、絵梨はそれを隠そうとはしなかったが、ダンは全く気にしていないようだ。
「悪ぃ、ちょっとな。それよりよ」
 ダンは自分より背の低い絵梨に視線を合わせるように、少し腰を落とした。顔が接近してきて絵梨はまた警戒心から少しだけあとずさった。声のトーンを更に落として、続けた。
「その女、本当は誰か確かめたくねぇか?」
 この言葉にはさすがに真意を測りかね、絵梨は眉を顰めた。
「どういう事?」
 ダンは相変わらず笑みを浮かべている。無表情が多いリトとは表面上は正反対かもしれないが、腹のうちがどこか読み取れない点では共通点があるかもしれない、と絵梨は思った。
「多分エリが見た女は今王宮にいるぜ。確かめればいいんじゃねーの? その知り合いなのか、どうか」
「何言ってるの、どうやって王宮に行くのよ」
 ダンの口角がくっと持ち上がった。
「ちょっと王宮の関係者にツテがあってな。忍び込もうと思えば忍び込めるんだぜ」
 突拍子も無い事を言い出すダンに、絵梨は閉口した。町の野良が、王宮にツテがあるだなんて、そんな話が信じられるものか。相手を小ばかにしたような表情を隠さず、ダンの目を真っ直ぐ見た。
「馬鹿みたい。そんなわけないじゃない」
 そう言い捨て、ダンを残してリトのいる方向へ向かおうとした絵梨に、ダンが声をかける。
「俺はあんたのいう事、信じるぜ。有り得ないとも言い切れねぇ。最近王宮の中がごたごたしてて怪しい事が多いって噂も聞くしな」
 絵梨はもう一度立ち止まって振り返った。ダンと真っ直ぐに目があった。言葉を切ったダンの、目を見て、真意を探ろうとした。ダンはずっと笑顔だ。これがこんな場所で、あんな出会いでなければ、感じの良い笑みだという印象を持ったかもしれない。沈黙はほんの一瞬で、ダンが言葉を続けた。
「それに、リトにあんな風に違うって言われただけで、納得できんのか?」
 その言葉で、絵梨の中に一瞬忘れていた不快感がぶり返してきた。確かに絵梨は先ほどのリトとの会話に不満が沢山残っていた。絵梨が振り返ると、リトの姿は見えなくなっていた。絵梨がついてきていない事にも気付かず先に行ってしまったようだ。無人になった裏路地を見つめて、絵梨はなんだか腹立たしい気持ちが沸いてくるのを自覚した。
「私」
 ダンに視線を戻して、絵梨は言った。
「やっぱり、ちゃんと確かめたい」
「んじゃ、決まりだな」
 満足げに「行くぜ」と言って、ダンはリトが向かったのと反対の方向へ走り出した。本当にこの男についていって大丈夫なのか、不安から胸が少し騒ぐのかわかった。しかしその一方で、絵梨はやはり、あのパレードの中で見た光景を見間違いとして忘れることにはどうしてもできなかった。


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